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Posted by だてBLOG運営事務局 at

2016年06月17日

酷いしっぺ


人による…というのを大前提に書くけど、
例えば…
有名人(著名人)と知り合いだった場合、軽々と他人にひけらかすって、あまりないと思う。

「知り合いの知り合い」とか、自分と直でない場合とかだと、割と誇大して言いふらす~ってのはあるけど。

有名人と自分が直で知り合いの場合、普通はあまり他人に言わない。(しかも自分から)

ただ、ちょっとした拍子に知られてしまったり、話すような事情や状況になった時、相手の食いつきが凄かったり、目の色が変わったと…いうのは、絶対に見逃さない方が良い。

信用していた相手でも、酷いしっぺ返しをくらうから。

あのズルイ女を、今でも忘れることが出来ないし、何よりも迂闊だった自分自身への苛立ちと後悔が消えない。
もう、15年も歳月が流れているのに。

時を戻せるなら戻したい。
あの女との出会いを消し去りたい。

「利用された」という心の傷は、一生癒えないと思う。

裏切りは、もうたくさんだ。  


Posted by hechengni at 17:49Comments(0)pour

2015年12月10日

優れている点


さてと12月も早いもので今日で2週目の9日です。
来年2016年の手帳を用意しました。
デジタルな世の中ですが、やはりポケットにはアナログな手帳も必須です。

ずっとここ何年も利用しているのは県民手帳。
私の住む香川県では、県民ノートという名称になっています。

先ずは価格がリーズナブルな600円。
様々な手帳が販売されているのですが、これほど安価なものはありません。
年齢早見表なんてのは、けっこう便利です。

他には、学校、官庁の住所、TELやら県内の郵便番号などもあります。
さらに都道府県、市町村の人口をはじめとするデーターの一覧。
県勢の基本は人口なので、民間会社に勤務する方にとっては
会議の席での突然の質疑にも役立つこともあります。
印紙税額の一覧、東京と大阪の地下鉄路線図があるのも便利。
市販の一般の手帳よりも、場合によっては優れている点も多いです。

さて来年はこの手帳に、どんなことを書き込むことになるのでしょうか?
良いことばかりではないのでしょうが
どんなことでも、人生万事塞翁が馬 では またです。  


Posted by hechengni at 13:12Comments(0)pour

2015年08月25日

君より恵まれて


君の過去を知らない。
俺が君を知る前、君がどんな世界を生きて来たのか。
俺と君の世界はあまりにもかけ離れていて、出逢えたことがそもそも奇跡みたいなことだったから、君を作り上げたほとんど何もかもを非那甾胺、俺は知らない。
君が寂しそうな笑顔しか浮かべない訳も。
君が哀しそうな歌しか口ずさまない訳も。
君が苦しそうな声で俺の名前を呼ぶ訳も。
俺は知らない。
君が漏らす過去から、断片的にしか想像出来ない。
俺は君より幸せで、君より救われていて HKUE 呃人、君より恵まれていて、君よりバカだったから。
君の苦しみを分かってあげられない。
君が自分を「汚れてしまった」と評価する真の意味も、心苦しさも、俺には本当のところで理解してあげられない。
救ってあげたいと思うし、支えてあげたいと思う。
でも、俺に出来るのかが不安で。
俺は何も知らない。
白くないフリをしてはいるけど、俺は君みたいに、自分を本当の意味で白くないとは言えない。
君みたいに不幸ぶっているけど東芝 冷氣機、君みたいな不幸な人には、なってあげられない。不幸になれない人生を、歩んで来たから。
俺も白くなくなったら、君を支えられるかな。
白い俺が何を言ったって、届かないかもしれないから。
赤く染まったら。黒く染まったら。
君を理解してあげられるかな。
もう白くないから、そう言って自分を大事にしてあげられない君を見るのが嫌なんだ。
ピュアホワイトなんて、求めてないよ。
君を好きにさせてくれた、その明るさを保ってくれたら。
それで良いんだ。
それで、良いから。
君に俺の言葉が伝わらないなら。
俺も白さを捨てたら通じるなら。
俺も捨てるから。
不幸になってあげるから。
お願いだ。
これ以上、自分を傷付けないで。
君が泣くのを、俺はもう見たくない。  


Posted by hechengni at 17:20Comments(0)pour

2015年03月24日

働かせ方に向


最近右向きゃ多様化、左向きゃ多様化と人権を武器に騒いでますね。

まぁだからと言って私は別に多様化を否定したいわけじゃないです。

時代が変われば生き方が変わるのは当然だからそれを否定するのは無理があります。

ただ、どう考えても個人のわがままを多様化という言葉を使って法律まで変えさせるのはどうなんでしょうね。

それからこれも最近よく聞く言葉だと思いますが、働き方の多様化。

確かに女性の社会進出が進んだりして人々は多様な働き方を求めていると思います。

そこで働き方の多様化という言葉が出てきたらなんかいい感じがしますよね。

でも、起業して自分一人で働いてるなら自由に多様な働き方が出来ると思いますけど基本的に雇ってもらってる人にそんな自由ってあるんですかね?

そこで今日の題名に戻りますが、働き方の多様化は視点を変えれば働かせ方の多様化じゃないんですかね?

しかも問題は雇われる側と雇う側のどちらの力が強いかといえば完全に雇う側ですよね?

ということは働き方が多様化するのではなくて働かせ方が多様化するんじゃないですかね。

つまり例え働き方が多様化したとしても働き方を決めるのは雇われる側ではなく雇う側なのではないでしょうか。

ただ、それでも働き方、働かせ方が多様化するならまだマシだと思います。

なぜならそれは現実社会を見れば明らかで現在非正規がどんどん増えて4割を占めているらしいです。

実際は多様化するどころか一つの働き方、働かせ方に向かってます。

でもそれは当然で雇う側は利益を上げなければいけないわけですから多様な働かせ方の選択肢があれば一番利益を上げる働かせ方で雇うに決まってます。

つまり働き方の多様化を求めるということは一つの働き方しか出来なくなる危険があるということです。

ただ、これをインフレ期にやるならいいでしょう。

それは前にもこのブログで言いましたけどインフレの時は雇用がたくさんあるので企業も一つの働かせ方だけでは人が集まらないからです。

でも、これをデフレの時にやると他に雇用がないから一つの働かせ方をさせられてもそれに従うしかない。

その働かせ方とは先ほども言ったとおり一番企業の利益になる働かせ方なので簡単に言えば雇われる側の賃金が下がるということでそれはつまりデフレを悪化させるというわけです。

ということは久しぶりにこの言葉を使いますが、結局働き方というのは手段であって目的ではないということです。

つまり今まで働き方の多様化が悪いことのように私は書いていますが働き方が多様化すること自体は良いことでも悪いことでもないわけです。

ただし、そのことを分かった上で議論をしないと雇う側の立場が強いという事実がある限り不幸になるのは常に雇われる側なのです。
  


Posted by hechengni at 18:06Comments(0)nierioto

2014年09月29日

僕の担当にな


息子のいつもの宿題のひとつに音読』があります。
週ごとに先生から配付されるプリントを親の前で毎日音読して、毎回親のサインをもらってくることになっています。そのメンバーの国籍からして言を待たず、我が家の場合、これを息子に聞かされる、いや、聞いてあげるのは、日本語を十分に理解しないさい君ではなく、僕の担当になります。そして、我が子のがさつな性格からして、これまた言を待たず、毎日読むことなどせず、大抵木曜日か金曜日の晩に、それまでサボった月曜からのものを『一気に4,5回親の前で音読する』ことになります。困ったもんです。

先日も、寝そべっていたら(僕は肥満体で動くのが億劫なので、家ではだいたい寝そべってます。)息子の急襲に遭いました
「パパ、おんどく!」
「また、溜めてたやつか?うん、わかった、わかった、読みたまい。」
こいつには、どうやったら、先生の指示通り毎日ちゃんと読むような丁寧さを身につけさせることができるんだろう、といつもながら親として暗澹たる気持ちなど抱きながら、付き合います。
「いくよパパ、とうすとのやきあがりよくわがへやのくうき、」
「え?なんだって?」
「もう、ちゃんと聞いてよ!!とうすとのやきあがりよくわがへやのくうき、・・・」
息子はかまわず、強引に読み進めます。けれども、何を言っているのか全然わかんないじゃないですか。
こいつ、また与えられた文章を理解せずに、いい加減に読んでるな、全く、いつになったら物事を几帳面にこなそうという自覚ができるんだろう、と依然と寝そべったまま父は、改めてアンタンたる気分を感じながら言いました。  


Posted by hechengni at 12:07Comments(0)nierioto

2014年09月29日

海外に売ること


前にも言いましたけど前提を間違ってることが多すぎる。

関税が無くなれば自動車や家電が売れるから日本の利益になるって言うけど自動車の関税って2.5%くらいなんでしょ?

関税の詳しい計算知らないけど200万の車能量水 詐騙で5万ってことですかね?

それが無くなれば本当に他の損を帳消しにできるくらい爆発的に売り上げ上がるんですかね?

そもそも日本の自動車や家電の企業が苦しいのは国内がデフレで売れないから海外に売りたいけど円高で売れなかったからでしょ?

日本のお米の関税みたいに数百%かかってるのあれ鑽石能量水ば確かに問題だけど売れない理由が関税じゃない時点で前提が間違ってるんだからやめろよ。

しかも日本は内需がデカイ国なんだから海外に売ることを考える前にやることいっぱいあるだろ。

農業だってそうです。

関税が撤廃されれば日本の品質が高い農作物清邁自由行は海外で売れるって言う人いるけど、具体的にどこに売るのか言ってみろと言いたいですね。

TPP内のGDPを見ると日米だけで約8割を占めてるってことはアメリカ以外に国益と呼べるほどの市場はないということです。


  


Posted by hechengni at 12:02Comments(0)wueriti

2014年08月06日

家事ハラスメント


一番の元凶は『母親』だと思ってます。

人間の基礎を作るのも、男を生み育てるのも、母親ですからね。

今、組織のトップに立ってる男の人だって甩頭髮、みな母親に育てられてるじゃない。

おそらく「男は黙ってサッポロビール」の時代より、ずっと母親の影響を色濃く受けているだろうと思います。

「ちゃんは、勉強が一番になればいいのよ」

「そんな面倒なことは、ママがやってあげます學化粧

「隣のB君に負けないで」

「お行儀良くしてくれなきゃ、イヤ」

こんなティピカルなママばかりではないけれど、息子カワイイ、カワイイで、子供時代に精神的に去勢されて、『男』にならない、なれないまま、小さくまとまってしまった事なかれ主義な『坊ちゃんおじさん』も多いんじゃないでしょうか收毛孔療程

最近、旭化成が『家事ハラスメント』をテーマにしたCMを公開して、えらく批判されたみたいですが(「家事ハラという言葉の用法が間違っている」という指摘はごもっとも)、、

それにしても皆さん、相手が夫に限らず、職場の後輩でも、友人でも、お手伝いしてくれた我が娘でも、こんな言い方します?

  


Posted by hechengni at 16:31Comments(0)wueriti

2014年06月05日

幸福駅に到


帯広に着きました。

やっと来ました。

とうとうやって来ました。

ついに愛の国愛国駅に到着しました。

無人の駅です。
券売機に“切符は下の店で売っています”と、貼ってありました。
駅から、やや下ったたばこ屋か雑貨屋のような店で切符を買いました。

友達や家族の土産として、そして何よりも自分の幸せの為、何枚も買いました。

駅に戻ると、改札に改札鋏(かいさつきょう)が、ぶら下がっていました。
鋏こん(きょうこん)は自分でやる、つまりセルフです。
今の中高生、いや、大学生は何のことやらと思うかも知れません。
今はほとんど、自動改札ですから。

現在の愛国駅は、周りも整備され、結婚式も行う恋人の聖地となっているようです。
ただ、願いの叶う滝でも札幌の時計台でも触れましたが、周りもそのまま残してくれるといいのですが。

私達が訪れたのは、幸福行きの切符ブームから何年も経った後だったので、観光客は少なく、寂れた駅の感じが余計に幸せの国へ連れて行ってくれそうな雰囲気を漂よわせていました。
今の駅は、当時を偲べるものではとてもありません。
あの、貼りつくされた物をきれいにするべきでしょう。
いくら、当時のものとはいえ、見る影も無いとはこの事です。

幸福駅に到着です。

記念撮影をしている私達に、手を振る人がいます。
ビックリしました。
網走から摩周湖まで一緒に観光した同級のあの人です。
今日当たりここに来そうだと、友達を連れ、会いに来てくれたのでした。  


Posted by hechengni at 11:04Comments(0)nierioto

2014年06月05日

小鳥は脚に


もうひDream beauty pro 脫毛とつの冬へ帰る
小鳥は脚に
小さな赤いリボンをつけて
少年の手を飛びたつ

椿の木から木蓮の木へ
ためらいもなく羽はうつり
空の色に
吸い込まれて消えた

手のひらに残る
小さな心臓の温もりと鼓動
饒舌だった庭がいま
さみしさでDream beauty pro 脫毛震えている

椿よ木蓮よ木よ

はやく赤いリボンをつけろ
そして舞いあがれ空へ
さみしさの羽に
もういちどDream beauty pro 脫毛触れてこい

  


Posted by hechengni at 10:50Comments(0)はひつせ

2014年04月07日

後悔というも

「サクライさん、高い方もできるでしょ?」
そう言われて高音を担当HKUE 好唔好するようになってから、朗読の楽しさがガラッと変わった。

合唱のように朗読にも多人数で一度に同じ文章を読む形がある。ソプラノ・アルト・バス…とは呼ばないけれど、声の高さでパート分けをする。
講座が始まった時、それぞれに好きなパートを選んでみて下さいと言われ、わたしは一番低い声のグループに入った。自分の声が高いとは思わないし、なにより低い方が「目立たない」と思ったからだった。分かれてみると低い声のグループが一番人数も多かった。高い声の方はやはり、人数は少ないながらも明るく積極的な人が多いという印象だった。

そのまま数ヶ月、その詩をやるときには低い声のグループにいた。が、人数のバランスが悪くなって真ん中の声に移った。それからまた数ヶ月して先生から「高い方をやってもいいんじゃない?」と言われたのだが、正直言って、それはとても嬉しい提案だった。声を高く張ると、当然気分も明るくなり、表情と共に自分自身もいきいきとしてくるのが分かった。

じゃあ、最初から高い方を選べばよかったじゃない?なのだけど、だいたいそういうことになるといつも引っ込んでしまって自分からは前に行けない。選ばれれば
HKUE 好唔好自信を持ってやれるのにと思うヘタレなのだ。(という同じ文章を前に書いた気がする

冷静になって見方を変えれば、低い声で重苦しさを表現する方がずっと難しいので、わたしには向いていないと判断されたということでもあるのだけど、その時はとにかく、先生の手で明るい所に引っ張り上げられたように感じ、自信を持って声もよく出る(出せる)ようになった。

最近では、朗読劇でも明るい役どころやひょうきんな役を振られるようになって、大げさな身振りや手振りを「やってみて」と言われるまま思い切ってやっている自分に自分で「おやおや?」と驚いている。求められているイメージに乗っかているのか、それが本来の自分だったのかよく分からないが、ふわっと身体が浮くような楽しさがある。

声で表現したり身振りで演じたり、10代の頃からそういうのは好きだったんだよなあ、でも、しなかったんだなあ……なんてしみじみと思い出しているが、それは、後悔というものでもない。もちろん、そのときにしたいことをしていたら人生は少し変わっていたのかもしれないけれど、その方がよかったとも限らない。

なんにせよ、心の中に持っていた好きなことに年を経てゆったりと巡り合うのは、なんだか「うふふ」なことである。昔の恋人と屈託なく話せるような楽しさかもし
HKUE 好唔好れない。話したい。




  


Posted by hechengni at 16:06Comments(0)はひつせ