2015年03月24日
働かせ方に向
最近右向きゃ多様化、左向きゃ多様化と人権を武器に騒いでますね。
まぁだからと言って私は別に多様化を否定したいわけじゃないです。
時代が変われば生き方が変わるのは当然だからそれを否定するのは無理があります。
ただ、どう考えても個人のわがままを多様化という言葉を使って法律まで変えさせるのはどうなんでしょうね。
それからこれも最近よく聞く言葉だと思いますが、働き方の多様化。
確かに女性の社会進出が進んだりして人々は多様な働き方を求めていると思います。
そこで働き方の多様化という言葉が出てきたらなんかいい感じがしますよね。
でも、起業して自分一人で働いてるなら自由に多様な働き方が出来ると思いますけど基本的に雇ってもらってる人にそんな自由ってあるんですかね?
そこで今日の題名に戻りますが、働き方の多様化は視点を変えれば働かせ方の多様化じゃないんですかね?
しかも問題は雇われる側と雇う側のどちらの力が強いかといえば完全に雇う側ですよね?
ということは働き方が多様化するのではなくて働かせ方が多様化するんじゃないですかね。
つまり例え働き方が多様化したとしても働き方を決めるのは雇われる側ではなく雇う側なのではないでしょうか。
ただ、それでも働き方、働かせ方が多様化するならまだマシだと思います。
なぜならそれは現実社会を見れば明らかで現在非正規がどんどん増えて4割を占めているらしいです。
実際は多様化するどころか一つの働き方、働かせ方に向かってます。
でもそれは当然で雇う側は利益を上げなければいけないわけですから多様な働かせ方の選択肢があれば一番利益を上げる働かせ方で雇うに決まってます。
つまり働き方の多様化を求めるということは一つの働き方しか出来なくなる危険があるということです。
ただ、これをインフレ期にやるならいいでしょう。
それは前にもこのブログで言いましたけどインフレの時は雇用がたくさんあるので企業も一つの働かせ方だけでは人が集まらないからです。
でも、これをデフレの時にやると他に雇用がないから一つの働かせ方をさせられてもそれに従うしかない。
その働かせ方とは先ほども言ったとおり一番企業の利益になる働かせ方なので簡単に言えば雇われる側の賃金が下がるということでそれはつまりデフレを悪化させるというわけです。
ということは久しぶりにこの言葉を使いますが、結局働き方というのは手段であって目的ではないということです。
つまり今まで働き方の多様化が悪いことのように私は書いていますが働き方が多様化すること自体は良いことでも悪いことでもないわけです。
ただし、そのことを分かった上で議論をしないと雇う側の立場が強いという事実がある限り不幸になるのは常に雇われる側なのです。